ブルシット・ジョブ

最後に海外へ行ったのは3年前のベトナムです。いつになったら行けるのか?

そんな海外では、ちょっとおしゃれなレストランとかではトイレに入ると、従業員が待っていて、サッとおしぼりを差し出してくれました。代わりにチップを払うわけです。

もう一つ。

私が子供の頃は、駅の改札員が、改札鋏(ばさみ)で切符をパチパチっと切ってくれていました。今の若者には自動改札が当たり前のことなので、何のことだか分からないかもしれませんね。

消える仕事もあれば、生まれる仕事もあります。

「ブルシット・ジョブ」という本がちょっと前に流行りました。

 

著者のグレーバーによれば、ブルシット・ジョブの定義は、

被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。

と、かなり絶望的なものです(笑)。

とは言いつつ、ブルシット・ジョブのおかげで恩恵を被る管理職や政治家もいるわけで、なかなか問題は根深いです。

東京オリ・パラ組織委員会の高橋元理事宅などの捜索に乗り出した汚職事件も、その典型です。真相はまだ分かりませんが、AOKI、電通、組織委員会の利権構造のもとで、たくさんの「仕事」が生まれました。

最近は日本の労働生産性が低下しているので、リスキリングが話題になっています。これも海外の事例に飛びつき、すぐ真似ようとする日本の悪い癖です。

 

 

新聞やメディアも「リスキリング!」「リスキリング!」とまくし立てていますが、一歩引いて冷静に考えましょう。

 

そもそもなんでリスキリングをしなければいけない状況になっているのかを考えれば、高橋さんみたいな権力者に近づく人たちがいて、鶴の一声でブルシットジョブが生まれてしまう利権構造があるからです。

 

そんな構造で、いくらいくら新しいスキルを身につけても。年収がアップするのは、ごくごく一部の人のみです。

 

ではどうするか?

 

そういう硬直的な利権構造から距離をとり、地味に自分で価値ある仕事をつくっていくことに尽きるのではないでしょうか?

仕事を分け与えてもらう側から、仕事を生み出す側になるにはどうしたらよいかを必死になって考えていくことではないでしょうか?

それは、自分が経営者にならなければいけないということではありません。会社は利益を上げるために、仕事をつくらなければいけませんが、仕事の目的や価値は、社員一人ひとりが自由に作り替えることができるものだと思います。

仕事が役に立つかどうかは、会社ではなく、自分が決めれば良いはずです。